昭和40年代生まれの皆さん!
女子ならきっと、幼少期の思い出に、ピンクレディーはマストアイテムでしょうか。UFOなんて、国民的ナンバーでしたよね?
なぜ、あんなに人気があったんでしょう?なぜあんなに好きだったんでしょう?
私はとにかく、歌うことが大好きだったことを思い出しました。
ピンクレディーは綺麗だし、歌が覚えやすいし、振り付けもカッコイイ。(当時はですよ!)
多分、現代の歌って踊れる、例えば、LDHとか?(娘達がはまってましたけども)芸能人の元祖なのでは?彼女たち以前は、楽器を弾きながら歌ってる歌手どまりで、あんなに激しい踊りに合わせて歌ってた人はいなかったのでは?
ピンクレディーの全盛期、私は小学校低学年。学期終わりのお楽しみ会、お別れ会など、クラス単位のイベントには、もう、女子達がこぞってものまねです。
しかし、私には悲しい思い出もありました。ある時、希望者6〜7人でピンクレディーの”出し物”をすることになった時、1人の子のお母さんがみんな分の衣装と段ボールと折り紙でマイクを作ってくれたのです!
感動しながら見ていたら、その子がみんなにそれを配ってくれたのですが、最後に受け取った私のマイクはなんかクシャクシャしていてる⁈ 「あー、それね、犬がかんじゃったんだよ、あんた、それでいいよね?」
今思い返すと、それは後に6年生になって壮絶なイジメに発展していく、小さな種だったように思います。
そして、今なら、なぜ、そうなったのかもわかる。
私は、「いい子」でいたかったから。どうしたら先生や親に褒められるか、認めてもらえるか?にいつも気を配っていたのでしたから。コトナは大人以上に心得ているものです😁。
そして、先生は子ども達の「切磋琢磨」を狙ってか、「いい子」を褒めて、みんなも〇〇みたいに頑張ろう、とか、みんなが「いい子」になることが素晴らしいことだという価値観を伝える。
ここでいう
「いい子」=「大人の事情がわかる子」という感じが強いと思うのです。
子ども時代って大人が思っている以上に物事には敏感じゃなかったですか?先生に褒められたい子は、私だけではなかったはず。そして、依怙贔屓は妬みをうみます。そして、コトナの弱点、その部分が鈍感だった!ただただ、先生に褒められたい、気に入られたい一心でお手伝いしたり、手をあげたり、勉強がんばったりしているうちに、周囲に不穏な雰囲気が漂っていたことに気づかない。それが、後々に規模の大きないじめにつながってしまったという一面もあったかも・・。
けれど、考えてみれば、こんな人生場面は大人の世界にもどこにでも、いつの時代もあったわけで、歴史的にそんな人間の感情で戦争は起き、何万人、何百万人が命をかけて戦ったり、血のつながりの中でのドロドロ対決なんて、枚挙にいとまがない。
ちょっと話が大きくなってしまいました。要は、イジメから戦争まで、もともとは「気に入られたい、褒められたい」気持ちがはじまりだったかも・・・の考察は、その元にアクセスすれば、状況を変えることができるかもしれない、という希望的観測につながりました。
ということは、すごーくシンプルな方法は
「子どもをめちゃくちゃ褒める、大好きだよと言ってあげる」
こんなシンプルなことが、平和な、安心できる世界をつくれるってこと!
シンプルなことほど、大人はなんだか難しく感じてしまう。
なにせ、大人自身が褒められた経験が少ないから。
でも、こうして欲しかった、ああして欲しかったってことを思い出して、それを子ども達にしてあげることはできないかしら?
この「思い出す作業」を私はお手伝いしたいと思っています。
ピンクレディーからはじまったのに、意外な方向に着地してしまいました。
次回は給食にまつわるお話にしようっと・・・。
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