朝はつい、限られた時間にたくさんのことをしなくてはならず、気が急く。
その朝は雨がしとしと降っていた。足早に駅に向かう途中、前方に小さな傘がゆらゆら。道の反対側を追い抜かす時に横目で見ると、黄色い帽子を被った幼稚園児の女の子が、長靴で水たまりの上を気をつけながら歩いていた。
あれ?一人で通園?と思ったら、少し前にスーツ姿のパパが後ろを振り返って優しく見守っていた。
その姿を見た瞬間、カラダに衝撃が走った。
忙しい朝に、この子のパパは、彼女が彼女のペースで歩いて登園できる時間を確保して、一緒に歩いてあげていた。
自分が若い母だった頃、そこまで子どもに寄り添ってあげられていなかったなぁ。環境が違った、子どもの数が違う、色々言い訳は浮かぶけど、とどのつまり、子どものペースに寄り添ってあげられる心の余裕を持てていなかった。
母として、妻として、一生懸命やってたけど、ちゃんと家事をして、ちゃんと遊び相手して、ちゃんとお風呂に入れて、ちゃんと寝かしつけて、ちゃんと、ちゃんと、
それって、子どもからしたら、母はそばにいるけど、そばにいない感覚があったんじゃないかな?
そういえば、私はいつも、子どもの先をスタスタ歩いては、振り向いて急かすか、手はつなぐけど、私のペースで歩かせていたんじゃないかな?
そんな反省気分にもなった。
最近の若い世代は働く気がない、とか、競争心がない、など批判も聞くけど、大事にしたいものが、成功や名声や権力じゃなくて、家族との時間や、小さな幸せや、利他的な考え、そんな価値観の違いなんだろうな、と思う。
「違い」は善悪ではなく、単に「違う」だけ。お互いを尊重するスペースを持てたら、そこからは新しいモノ、コトが生まれることもある。
大人が子どもから教わることだってあるし。
何気ない風景から、色んなことを考えた朝だった。
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